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第二章


<ある日の出来事・・・>

ある日の夜、ふとカメラを持ってどこかへ撮りに行きたくなった。すぐに思いついたロケーション は美幌中学校だ。ここは高台にあるため美幌の夜景が見え、グランドで撮影すれば視界は抜 群だ。そこで自転車に6cm望遠鏡とカメラ・三脚を荷台に縛りつけ自転車のペダルをこいだ。 途中、他人が見たら変に思われたに違いない。恥ずかしい思いをしながら夜道を15分かけて 走っていった。 グランドから見える美幌の夜景は美しい。その夜景の上には北斗七星が見え、「これは絵にな る!」とカメラをセットし撮影を始めていた。何時間たったのだろうか、誰もいないグランドへ一 台の車が入ってきた。「何だろう?」と息を潜めて黙っているとボクの隣に車が止まった。「怒ら れるのかな?」と思っていたが車からは誰も出てこない。しばらく様子を見ているとアベックのよ うだ。「俺がここにいるぞぉ!」と望遠鏡を動かしたり、ペンライトを振り回したりしたがアベックは 気が付かないようだ。「しかたない!アベックより早くこの場を離れるのが懸命のようだ」と思い、 ボクは帰宅したのだった。                                         

<自作望遠鏡へ、トライ!>

愛用の6cm屈折望遠鏡から12,5cm反射望遠鏡へと大きい望遠鏡に買い替えたが、満足行 くような星の見え方はしなかった。「メーカー製の望遠鏡はダメだ!」当時、アマチュア天文家の 間で、自作の望遠鏡を製作する事が流行っていた。そこで僕も作ってみようと望遠鏡の設計を 始めたのだ。木星の模様の観測をしたかったので20cmの望遠鏡がほしい。当時としては20 cm反射望遠鏡は巨大なものだったがトライしてみた。スケッチブックに設計図を何度も書きな おした。これが結構楽しいのだ!。ようやく設計が終わり赤道儀の製作・鏡筒の製作と作業が 進んだ。20cm望遠鏡のほとんどの材料は木製です。赤道儀はヨーク式という形で、2m×1.2 m高さ1.5mほどの巨大な物。鏡筒はステンレス棒を6本利用した6角形の筒状の鏡筒です。 しかし製作半分のところで製作を残念。と言うのは、鏡(主鏡)を自分で磨きオール自作の望遠 鏡を作る計画だったが、自分で20cm鏡を磨くのは無理と思い製作途中で残念したのだった。 そこで20cm望遠鏡は止めて、15cm反射望遠鏡を作る事にした。材料は、今ま で使用してきた木材を切り直し、鏡筒は近くに落ちていた塩ビ管を利用。これがち ょうど15cm鏡筒にはピッタリ!。ペンキを塗り、セル(主鏡を置くところ)を作り、 斜鏡(第2鏡)や接眼部(望遠鏡を覗くところ)を取り付け、鏡筒ができあがった。赤 道儀もベアリングやウォームホイルギヤなど取り付け、約3ヶ月かかって15cmフ ォーク型反射望遠鏡が完成した。                    この初めて作った望遠鏡は口径が15cm、焦点距離が900mmです。赤道儀は フォーク型。しかし何分、木製の望遠鏡で高校生の私が製作した物ですから、望

遠鏡はガダガタ。一人でやっと動かせるくらいの重さで、図体ばかり大きく精度は悪い。そんな お粗末な天体望遠鏡でも私にとっては愛着があり、見れば見るほど惚れ簿れしてしまうのだっ だ。                この望遠鏡は、自宅の前にテントをかぶせて置きっぱなしに・・・いつでもすぐに覗けれるように してある。何度も望遠鏡の調整をしてみては木星や土星を見ていた。しかし何度見ても、写真 のような細やかな木星を見る事が出来なかった。「やっぱりダメか!オレには才能がないんだ なぁ〜」と途方に暮れる毎日を送った。この様にボクの高校時代は、挫折の毎日。スパナとドラ イバーを片手に望遠鏡をいじくり回し、まともに天体を導入もできず七転八倒を繰り返していた。

<部分日食の出来事>

1977年10月12日、部分日食があった。高校3年生のボクは、どうしても部分日食を写したく て先生に早退届を出し友達2人で学校を早退した。友人とボクは兄に頼み車で美幌峠まで連 れて行ってもらった。峠の駐車場の角に6cmの望遠鏡を置き、太陽投影板を取り付け太陽を 映し出した。隣には三脚にカメラを取り付け200mmの望遠レンズを取り付けた。       

このように天体望遠鏡を広げていると、珍しいのか観光客が見物に来た。 「何をしているの?」「今、部分日食が起きているんですよ!」と投影板の太 陽を見せてあげた。投影板の太陽は大きく欠けて「月が太陽を隠しているん ですよ!」と説明をしてあげると、観光客は妙に納得していた。                            だいぶ太陽が傾いた午後3時ごろ太陽が最大にかけていた。ボクは周りの 風景を入れて太陽を撮影。とにかくシャッターを切りまくったのでした。出来 上がった写真は綺麗に写し出されていて、自分でもお気に入りの天体写真 となった。                              
<進学・・・就職・・・そして星>

高校を卒業したボクは札幌のデザイナー専門学校に進学。約2年間、星と離れた生活を送った のでした。札幌のデザイナー専門学校へ行ったのはわけがあった。それは、天体写真で覚えた 写真の面白さがたまらなくなり、もっと写真について勉強をしたかったからである。星をあきらめ たわけではないが「星は一生の趣味としてやろう・・・とりあえずは写真を勉強しよう!」と決めた からである。                                                  2年間、専門学校で勉強した後、写真家として就職せず美幌の実家へ戻ってきた。実家は自宅 に工場を持ち木工ろくろ製品を製作している。小学生の時から望遠鏡欲しさで技術を覚えたた めに、すぐ仕事を覚えてしまった。そして趣味として風景写真を撮っていたが、なかなか時間が 取れずイメージ通りの風景写真が撮れなかった。そこで考えた末「よし、星をやろう!」と、また 再び自宅の前に置いてある自作15cmフォーク型反射望遠鏡をいじくり始めたのでした。    「ウソォ!」今まで何度も何度も、いじくってみたものの、1度も満足いくような木星を見る事が 出来なかったのに今日は良く見える。「うわぁ〜、感動だ!」あまりにも嬉しさのため、すぐ親を 呼んで木星を見せて上げた。                                        何故なんだろう。こんなに見えるのは・・・ 天体望遠鏡とは、望遠鏡の調整はもちろん、大気の 気流の安定さなど全てがマッチングした時に望遠鏡本来の性能を発揮します。そのベストマッチ が、この瞬間だったのです。                                        

<新たなるチャレンジ!>

「やっぱり、天文はおもしろい!」と、本格的に天文に取り組む事にした。「まずは観測所が欲し いなぁ。」「どうせ作るならドームにしよう!」と設計を始めた。しかし、ドームはどうやって製作す れば良いのか悩んだ。そこで高校時代に「自作ドーム型観測所、完成!」という新聞記事を見 かけたので、北見市豊田の矢田目さんの観測所へ見学に行った。                

 「こんにちは、手紙を差し上げた円館です!」家の奥から出てきたのは優しそう なオジさんでした。「ちょうど良かった。今、観測所に同好会の仲間が居るよ」と 言われ観測所に案内された。住宅から少し離れた畑の横に丸いドームが見え た。「ヘェ〜、これがドームかぁ〜!」始めてみたドーム型観測所はボクの目に まぶしく見えた。「この中に仲間が寝ていますよ!」とドームの隣にある8畳くら いの小屋のドアを開けてみると4〜5人の高校生が寝袋にくるまって寝ていた。 「朝方まで観測をしていたんですよ!」と眠そうな顔で言った。そして初めて会う ボクにドームの中を案内し説明してくれた。矢田目観測所はトタン張りの綺麗な
ドーム型で手動で簡単にドームが回転する。回転装置も簡単な構造になっていた。「これな俺に も出来そうだ!」と思い、製作にとりかかった。                     
大きさは、3m×3m×高さ5m。8角形を基本に、多角面型ドームにした。球面 でないのは製作が容易な事と材料が無駄にならないためです。そして製作費 25万円。約3ヶ月かけて立派な(自分ではそう思う)観測所が1982年11月 に完成。21歳の秋の事だった。 自作の8角形型ドームの名前は「アポロ」だ!このアポロ観測所は、アポロ11 号の月着陸船の形に良く似ている事からこの名前を付けた。アポロ観測所に は以前、高校生時代に自作した15cm反射望遠鏡を置き、赤道儀は新しくタ
カハシ製のシステム90を購入した。今まで苦労して天体を導入していたが、このドームになって からは容易に天体を導入する事が出きるようになった。これも高価な赤道儀のおかげでしょう。 ガタなく、正確にモーターが星を追いかけてくれる。今までの苦労が嘘のようだ。        

<真っ赤な月食>

1982年12月30日。この日、皆既月食があった。これまで何度か皆 既月食を見たが、この月食が一番印象的に心に残っている。それは今 まで見た事も聞いた事もないほど珍しい月食になったからだ。「今日は 月食があるからみんなおいで・・・」と近くの子供達に声をかけた。夜に なると15人ほどの子供達と親がアポロ観測所に集まった。「今見えて いるお月さんが、だんだん消えて行くからね!」と子供達に満丸いお月 さんをボクの自慢の望遠鏡で見せてあげた。月は徐々にかけ始め22 時ごろ月が消えてしまった。ところが月が消えない!真っ赤な月が見え
ている。今までの月食は肉眼では見えなくなるくらい暗くなるのに・・・「何故だろう?」とボクは 考え込んでしまった。こんな珍しい皆既月食を子供達と見る事ができのだった。

<さらにバージョンアップ> 

このアポロ観測所は住宅街に建てたため視界が悪い。そのために、あの木星も隣の住宅に 隠れてしまう。しかし約1年後、ちょうど運良く自社の工場を増築する事になり、これはチャン スと工場2階の屋根の上にドームを置く事にしてもらった。今度は美幌町内を見渡せるほど 視界が良くなった。そこで、ついでに望遠鏡も大きい物に買い替える事にした。望遠鏡はタ カハシ製のMT−200(20cm反射望遠鏡)。赤道儀はタカハシ製のJP−160。価格は約 50万円ほど。さっそくドームの中に新品の望遠鏡を取り付けてた。今までの自作望遠鏡とは 違い見ているだけで「格好いい!」と言いたくなるほど見栄えのする望遠鏡だった。      

新たに購入した口径20cm反射望遠鏡。そして360度視界が良くなり、ま すます星にのめり込んでいった。晴れていればドームのスリットを開け、望 遠鏡を目的の天体に向ける。今までやっと見えていた星雲が大きくなった 望遠鏡のおかげでハッキリと見えるのだった。    
こんな体験をした。今まで天文書にある木星のスケッチは本当なのか疑問だったのだが、あ る日のこと、木星が夜明けに昇ってくるので仮眠をとり朝3時ごろ起きた。ドームと望遠鏡は 夕方から開けっぱなしにしてあり、ドーム内の気流は安定している。さっそく望遠鏡を木星へ 向けた。「ヒェ〜、スゴイ!」真っ赤に赤茶けた木星の縞模様。そしてスケッチに書き表せない ほどの複雑な縞模様。「こんなの始めてだ!」頭の髪の毛が立ち、背中がゾクゾクするほどの 感動がボクのからだ全体に走り抜けていった。超感動の一瞬である。ボクは望遠鏡にカメラを 取り付け無我夢中でシャッターを切り続けた。この時の木星写真はボクの宝。今でもこの写真 を見るたびにあの感動がよみがえるのです。                              不思議な体験がある。ある日の夕方。今日も天気が良いのでドームへ行った。ふとスリットか ら外を見てみると、ポッカリと丸い形をした雲が浮かんでいた。何となく気になったのでしばらく の間、雲を見続けていた。雲はゆっくりと南南西の方向へ移動して行く。まわりには全く雲はな い!「変な雲だなぁ〜」と思いつつ雲が見えなくなるまで見ていた。                  それから数年たった1985年。アイラス彗星という彗星が発見された。この彗星は地球にもの すごく近づき数日の間に消えて行った彗星である。満天の星空の中に、ポッカリと丸い雲が空 の上に浮かんでいた。「アレ、どっかで見た事がある!」その時ハッキリとは思い出せなかった。 それから数カ月後、あの雲の事を想いだした。「もしかしてあの変な雲は・・・彗星?」ボクの脳 裏をかすめた。もしあの変な雲が彗星ならばあの動き・形を説明できる。地球に大接近しニア ミスを起こした彗星?「もしかして・・・」しかし、そう思っても今では遅すぎる笑い話だった。  

<ハレー彗星との出会い>

1985年9月14日。日本で始めてであろう「カラーフィルムでのハレー彗星、撮影に成功!」 をここのドームで行った(この模様は読売新聞に掲載された)。明るさは約14等星。到底眼視 では見る事ができないほど暗い明るさだ。カラーではボヤーと青白く写っていた。以前から狙 っていたのだがなかなか撮影する事ができなかったのである。それからハレー彗星を追い続 けた10月18日。20cm望遠鏡で初めてハレー彗星を見る事ができた。眼視では白くボーッ とした雲のように微かに見えた。11月を過ぎるとハレー彗星はとても大きく見え、とても見応 えもあった。こんな大天体ショーを独り占めにはできず各学校に呼びかけ、数十人の学生達 にハレー彗星を見てもらった。1986年1月7日。地平線近くにいたハレー彗星だが尾がハッ キリと望遠鏡で見えた。この日を最後に、ここのドームではハレー彗星を撮影する事ができな くなった。                                                  

1986年の春。南の地平線にハレー彗星の尾が見える。 そのチャンスを逃すまいと3月17日光害がひどくなったア ポロ観測所を離れて津別町東岡の高台に観測場所を移し た移動用の76mm屈折望遠鏡を車に積み、朝3時、光害 の少なく南の地平線が良く見えるこの場所へ行った。さっ そく望遠鏡を組み立て、カメラを取り付けハレー彗星が昇 ってくるのを一人で待っていた。その時、車が上がってきて
ボクの約30m近くで止まり何やらゴソゴソやり始めた。「こんな朝早く、こんな場所へ何しに来 るのだろう? 変な奴だなぁ〜???」と思いつつ様子を見ているとボクと同じくハレー彗星を見に 来ているみたいだった。何だか近寄りがたいので黙っているとボクより先にさっさと帰ってしま った。                        
AM3:30ごろになると地平線上に肉眼でハッキリと尾が見えた。 「あっ、ハレー彗星だ!」この目でハッキリと尾が見える肉眼彗星となっていた のである。「感動だ!」ウエスト彗星以来の肉眼彗星。カメラにレンズを取り付 けシャッターを切った。この写真は後に全国ネットのTBSテレビ“ハレー彗星 特別番組”に紹介され、またまた感動してしまった。    
<ジプシー観測は・・・>             

自宅のアポロ観測所では、街明かりの光害や煙害により星が良く見えなくなった。まして天体 写真を撮るには最悪の環境となってきたのである。そこで、ジプシー観測を考えて、空が暗い 美幌町日並の奥地へ移動した。ここは民家もなく、北きつねや蝦夷鹿。そして熊さえも出そう

な場所で一人望遠鏡を組み立ていた。いざ撮影にはいると周りはシーンと静ま り返り、ガサガサガサと枝が揺れる音や草が揺れる事が耳につく。「うん〜。こ わ ぁ〜い!」星を一人で見ることはとても勇気がいる事なのです。あまりの恐さ にジプシー観測は止めたのだった。   
<またまた観測所作り・・・>   

以前から新しい観測所の場所を探していた。地主さんに聞いては断られ途方に暮れていたボ クに父親の知り合いが「あの辺なら知り合いがいるから聞いてみようか?」と言われ、一緒に 地主さんに聞きに行った。「あの場所。あそこは使っていないからいいよ!」とOKの返事をも らった。「ラッキー。あそこはボクが目をつけてた場所だ!」これで半分、新しい観測所ができ たと思ったのだった。                                            1986年4月の春。雪解けを待って観測所予定地に杭を打った。設計はボクが自分なりに使 いやすく、将来的にも使用価値のある観測所をと別荘風の観測所を考えた。建坪は10坪   (3,6m×9,0m)、とんでもなく大きな観測所に設計してしまった。「まぁ、いいか!」と予算50万 円。どうにかなるだろうと計画を着手。それほど空が暗く交通の便が良い場所は他になく、お 金をかけるのが欲しくないほどの抜群の環境だったからだ。                                        ある真夜中。ザクザクザクッと濃い霧の中、車のヘッドライトを頼りに穴を掘る男がいた。車のト ランクの中には女の死体が・・・なんてドラマのワンシーンみたいな情景を思い出しながら土を 掘っていた。周りには民家もなければ街灯もない。「何でこんな所で穴堀りをしているのだろ う?」と一人ブツブツ言いながら観測所の土台になる基礎の穴堀りをしていたのだった。

        トントントン。 何本もの釘を打っただろう。仕事を終え夕食をそこそこに毎日観測所 へ通い大工仕事をした。一人で作業をするとなかなか作業が進まない。板一枚 貼るのにも手間がかかる。「こりゃ〜、いつ完成できるか?」と途方に暮れるとき もあった。ボキッ!「痛ててて・・・」とギックリ腰になること3度。痛いのを我慢して作 業を続けた。ハンマーで指を打ったり、防腐剤を誤って目に入れて失明しそうに なったりと、満天の星空が見えている時も我慢して作業を続けたのでした。 しかし毎週日曜日になると北見の星仲間である北見天文同好会の面々が手伝 いに来てくれた。とてつもなく大きな観測所なのでボク一人では到底完成できるものではない。 基礎の穴堀り、トタン張り、床張りなどみんなの力を借りて約6ヶ月間かけて観測所が完成した。     苦労もあって1986年の9月27日、ついに新天体観測所が完成。この日、 観測所作りに協力してくれた北見市の北見天文同好会の面々や陸別・釧 路の星仲間25名を迎えて盛大な完成式をおこなった。「完成、おめでとう! ハイ、乾杯!」と仲間とジンギスカンを食べながらビールを飲む。「いゃ〜、ビ ールがうまい!」酒に弱いボクがこんなにビールが美味しいと思ったは初め て。仲 間との話も楽しく朝まで星について語り合った。

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