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第三章


<星ドロボウとは・・・> この新観測所の名前を「星ドロボウ津別観測所」と言う。「星ドロボウ」とは星を盗むという意味、 つまり星の微かな光をフィルムに捕らえる事。新しい星を見つけだす意味で名を付けた。近い 将来、新しい星を発見したいという意気込みをこの名前で表現したのだった。           この星ドロボウ津別観測所の空はとても暗く星が良く見える。夜、ポッカリ浮かんだ白い雲が南 の空に移動すると黒い雲に変わり、たくさんの星々の中、まるで暗黒星雲みたいに見えるのだ。 また夏の天の川が白く明るく輝き無数の星が輝く。星座の形がわからなくなるほどに星がたくさ ん見えるのだ。それ程までに人工の光が少ない、こんな環境の良い観測所で星を 見るのが夢だった。それが現実のものとなり、より一層星にのめり込んで行くので した。            観測所を建てた期に、新たにボクの好みでスカイブルーの色に塗装した大型の赤 道儀を購入した。この赤道儀(旭精光製SX-260PWM)の上に自宅で使用していた 20cm反射望遠鏡(MT-200)を乗せて天体写真を撮り始めた。自宅のドームでは 満足できる写真を撮影する事はできなかったが、ここで撮影すると全く違った写真 が撮れるのでした。

<天体写真が変わる!> 当初はトライXと言うモノクロフィルムを使用していたが、複写用のテクニカルパン(TP2415)と言 うフィルムを使用する。TP2415は通常使用する時は低感度で全く天体写真には向きませんが、 水素増感処理という前処理をする事により天体写真に適したフィルムに変わります。水素増感 処理とはフィルムを約50度で暖め、さらにフォーミングガスでベーキングする事により低照度 相反則不規が改善され、天体写真のような長時間露出を必要とする被写体には、大変有効な フィルムに変わるのでした。この水素増感TP2415を使用して天体写真を撮影すると大望遠鏡 で撮影したような鮮明な写真が撮影でき、自分でも驚くほどにきれいな天体写真が撮影できる のでした。                                                    しかし最初から上手く撮影できた訳ではありません。天体写真は遠くの微かな光をフィルムに 集めなければならず、それには20分30分という時間、カメラのシャッターを開けフィルムに天 体の光を蓄積しなければなりません。また星は地球の自転のため移動し、その移動と同じく撮 影望遠鏡を動かさなければなりません。それには赤道儀にモーターを取り付け地球の自転と同 じ速度で動かすわけですが、実祭には正確に追尾してくれません。そこで1つの星(ガイド星)を サブ望遠鏡に導入し、高倍率にしてその1つのガイド星を追い続けるのです。時には1時間以 上もの時間、よそ見をせずにじっと1つのガイド星を追い続ける時もあります。こうやって1カット に数十分間かけて出来上がった写真がピンボケやガイドエラーで流れていたり、写野を間違え てどこを撮影したかわからないような写真を撮ったりする事がしばしばありました。そのミスを一 つ一つ克服してまともな天体写真を撮る事ができるようになりました。               

<厳寒の観測> 厳冬の星空。キラキラと「星の涙」が降る。まるで星が寒さで泣いているように・・・−15度にも なると大気中の水蒸気が凍ってダイヤモンドダストが降ってくる。こんな寒さの中、ボクは観測 所へ行き星と対話をする。星はいつもより激しくキラキラと輝き、冬の天の川は白く流れている こんな時ボクの気持ちが和らぐのです。しかし、数十分も星と対話をしていると身体の芯まで凍 りつきそうになり、望遠鏡も霜柱を立てて凍り始めている。ピリピリ、ピリピリとほっぺたや耳、そし て関節までもが痛み始めてくる。この様に寒さに耐え苦労して撮影した写真が自分のイメージ 通りの写真となったとき、今までの苦労が報われるのです。遠い宇宙の微かな光をフィルムの 乳剤面に受け止め宇宙の姿を撮り続けるのです。                           星ドロボウ津別観測所が完成してから半年が過ぎた頃、やっとまともな天体写真がコンスタント に撮れるようになってきた。ピントを何度も見直してジャスピンに合わせたり、ガイドミスを犯さ ないようにと必死にガイド星を追いかけた。あまりに熱中し過ぎて朝まで撮影し続けた事もあり ます。                                                      こんな事もありました。ある寒い夜。「今日も寒いなぁ〜」と思いながらガイド星を追っかけてい た。コツン!と目がアイピース(接眼鏡)に打つかった。「おっと!眠っていたのか」ボクは知らない 間にウトウトと眠っていたのでした。                                     こんな出来事もあった。ある真夜中の事。いつものように必死にガイドしていると突然まわりが 明るくなった。「あ〜あ〜、もう朝か!エッ朝?」と上を見てみると「ヒェー、火球だ!」と、ものす ごい明るさで流れ星が流れた。                                     

<彗星観測への道> そんな頃の事、ある星仲間の一人が「彗星の位置観測をしないか?」と話を持ちかけてきた。 以前から位置観測に興味があったものの、まだまだ技術的に未熟で観測ができるのか心配 でしたが、仲間の進めもあって彗星観測を始めました。彗星の精密位置観測とは、現在見え ている彗星を撮影し、0.1″単位の精度で位置を測定する観測です。その精密な位置観測に より彗星の軌道を正確に求める事ができるのです。それには正確な撮影時間、撮影技術、 測定能力が必要で確かな技術が要求される世界です。実際の観測は、ボクが正確に彗星を 撮影します。その撮影したネガを札幌の星仲間である渡辺和郎氏に測定してもらい、そのデ ータを国際天文連合(IAU)小惑星センターがあるアメリカのスミソニアン天文台へパソコン通 信で送るのです。この様に送られてきた世界中(ほとんどがプロのDATA)のデータがここ小 惑星センターに集まり軌道計算に使用されます。そして私の観測したデータも、この中にある のです。                                                    ある日、「バカやろー!」と電話から怒鳴り声。共同観測者である渡辺和郎氏から「データ、 違っているぞ!」と言われ、データを確かめてみると撮影時刻を書き間違えていた。また、間 違いなく撮影したはずの彗星が写っていなかったりと今では笑えるミスを犯していた事もあっ た。しかし、この様なミスはプロには通じない。アマチュアだからミスは許されるという世界で はないからです。「エンダテの観測は信用できない!」と軌道計算者に思われるとボクの観 測を見向きもされなくなってしまいます。そうならないように正確な観測が必要になるのです。 「さぁ〜て、今日は何を撮ろうかなぁ〜?」と天文雑誌を見てみる。「へぇ〜、15等星の彗星 か・・・」これは写るか写らないかわからない。「よーし、今日はブルックス2彗星を狙おう!」と 望遠鏡をブルックス2彗星に向けた。露出時間は15分、真剣にガイドをして撮影を終了させ た。翌日のお昼休みに昨夜撮影したフィルムを現像する。そしてルーペで予報されている 彗星の位置をくまなく見てみると「あった!」微かにボーッした彗星状の天体が写っている。 移動を確かめるためにもう一枚のネガを見る。やっぱり移動している。さっそく、ネガを札 幌の渡辺氏に送り、ネガを測定してもらった。この測定位置は国際天文連合に送られる。 ブルックス2彗星のデータを見てみると、まだ国内では誰も観測していませんでした。「やった 一番乗りだ!」そうです。暗い彗星はなかなか撮影が難しく、彗星観測者は比較的明るい 彗星を観測しているので、暗い彗星の観測数はとても少ないのです。             この事がきっかけで暗い彗星を撮影するのがとても楽しくなりました。自分の撮影している 望遠鏡のギリギリまでの性能を発揮して彗星を狙う。彗星に挑戦するかのように撮影すると ころに何か魅力を感じてしまうのです。                               

<さらに小惑星観測へ> ツルルルル「おい、札幌に来ないか?」と札幌の渡辺氏から電話があった。何でも北海道の彗 星観測者たちが集まるとのこと。ボクは北見の星仲間3人で札幌に出かけた。「小惑星の 観測をフォローしてくれ!」数ヶ月前から釧路の上田清次氏が小惑星観測を始めていたが 突然20個ほどの小惑星を新発見した。しかし、一人ではこの発見した小惑星を追跡するの が無理とのことでボクたちに観測をして欲しいとのことだった。メンバー5人に観測が割り振 りされ重大な観測を任さられたのでした。しかし、小惑星観測は初めてのこと。とにかく全力 を出しきって観測に挑んだ。「よし、位置は間違いない!」露出時間は15分間。インターバ ルを5分間あけて、また15分間露出する。つまり2重露出をすることで小惑星の移動を見 ることが出来るのです。                                        

1987年12月。ボクに割り振られた小惑星1987UR1(UK011)の観測 を3夜観測した。そして撮影したネガから小惑星の位置を割り出し、 5個の観測位置から軌道が求められた。この軌道計算をしたのは群 馬県の小林隆男氏で、過去に1969年と1980年と1982年に観測され ていたことがわかり正確な軌道が求められた。そして、あっと言う間 に確定番号3720として公式に登録された。やがてこの小惑星は「北 海道」と命名され北海道で初めての命名となった。「円館君、ありがと
う!」と発見者の上田氏から感謝の電話をいただき、観測のフォローしたボクとしてもとても 嬉しく感じた。                                  この様なドラマにボクが深く関わったのをきっかけに、やがて小惑星の世界へ進むことにな ったのでした。                                              

<小惑星観測とは・・・> 小惑星とは、火星と木星の間にある小さな惑星の事です。この小惑星は、大きさが大きい もので直径10kmくらいしかなく、小さいもので数mくらいと言われています。数は10万個あ るとも言われていますが現在約7.000個が正式に小惑星として登録されています。そんな小 さな小さな小惑星を見るには大きな望遠鏡が必要で、我々の持っている20cmクラスの望 遠鏡では数えるくらいの数しか見えないくらい小さな天体なのです。               そんなに小さな小惑星を発見する方法として写真観測があります。これまで色々と苦労しな がら覚えた天体写真テクニックで行えば簡単に撮影できます。露出時間を15〜20分にして 2コマ撮影すれば、たくさんある星の中を移動している天体があります。それが小惑星で明 るさは16等星前後の比較的明るい小惑星が写ります。しかし、新しい小惑星はそう簡単に は発見できません。どこに新しい小惑星があるか、どの様な軌道を通るのかが分からない からで、どこに位置するかが分かりません。そこで黄道付近の天域を、ただ網を張るかの ように数カット撮影してゆきます。そして撮影したネガから星の間を移動している天体をた だひたすら探し続けます。新しく発見した小惑星を位置測定し、また数日後この小惑星を 撮影し位置測定をするのです。そして3夜以上、20日間ほど観測を続けて楕円軌道を求 めます。この様に地道な作業を行い初めて新しい小惑星として登録されるのです。     「あれっ、ここに変な小惑星が写っている?」釧路の上田さんの追跡をしていた写真に新し い小惑星が写っていた。パソコンで登録済みの小惑星か照合してみたが出てこない。「や った!新しい小惑星の発見だ!」「ボクにも発見できるんだ!」と大喜びしてしまった。この 新しい小惑星をEW001として追跡を続けたが残念ながら数日後見失ってしまった。「チクシ ョウ!」とても悔しい思いをしたが、自分にも発見できるという自信もできた。         しかし、そう甘くは無かった。EW005とトントン拍子に発見していったのだが小惑星観測を初 めて2〜3カ月の頃、探しても探しても新しい小惑星が発見できなくなった。「ボクには才能 が無いのか?」「ボクには無理だ!」と挫折寸前のところまできていた。           

<効率の良い観測> ある日の朝、顔を洗っているとタオルが赤くなっていた。「何だこりゃー?」ふと鏡を見てみ ると鼻血が出ていた。そうです、連日のようにただひたすら写真を撮影したために鼻血が 出てきたのです。そのかいあってか新しい小惑星が次から次へと発見することができた。

それからのボクは「もっともっと小惑星を発見したい!」という欲望が強くなり、 もっと広い範囲を観測できないかと考えるようになった。そこでボクは20cm 反射望遠鏡を2本並べて一度に2天域を撮影するようにし、望遠鏡も広視野 の撮影できる望遠鏡に買い変えた。このシステムで約3度×6度の天域を撮 影でき、一度に15個もの新しい小惑星を発見することができるようになった。                                     1989年1月15日。いつものように観測所に出かけて小惑星観測をした。そ の日に撮影されたネガから新しい小惑星を発見。EW043として追跡観測を続
け、国際天文連合から1989AT1という仮符号が付けられた。そして翌年このEW043を再度 追跡観測を行い正確な軌道を求められ「4042」として私の一番最初の番号登録された小 惑星となった。「4042」とは、確定小惑星として4042番目の登録という意味で、番号登録さ れると発見者には命名権が与えられます。そこでボクはビッグな名前が付けたかったので 「オホーツク」と命名しました。                                     次に「4126」を摩周と命名。1990年2月28日に発見し「4460」と番号登録された小惑星に ボクの住んでいる町「美幌」と命名しました。あと、大雪山・津別・サロマ・藻琴山など色々な 地名を命名したのでした。                                       

<幸運?不運???> 1991年3月15日。いつものように仕事を終え、いつものように観測所に行った。そしていつ ものように小惑星追跡観測を始めた。快調に撮影は進み小惑星の掃天観測(サーベイ)を4 天域撮影して帰宅した。そして翌日フィルムを現像しプリントを行った。ここまではいつもの 行程だったのだが、ここからが不運の始まりだった。                       3月17日。この日はちょうど日曜日。スキー大好き人間のボクは、この日も糠平スキー場に 行ってしまった。楽しいはずのスキーもストックが折れるアクシデントが起こり、スキーの疲 れもあってプリントをチェックすることが出来なかった。その時あの撮影したネガに驚くもの が写っているとは知る由もなかった。                                 3月18日。この日は曇ったためプリントのチェックをした。チェック作業を初めて数分後、「エ ッ、これは何だ!」と目が見開いてしまった。プリントの端ギリギリに棒状の高速移動天体が 写っていた。「エッ、本当かよー?」とパソコンで確定小惑星ではないかと照合してみたが該 当するものは無かった。「凄いものを見つけてしまった!」と慌てて札幌の渡辺氏に連絡を した。渡辺氏から「あれ、何だ?」と聞かれ「さぁ〜?」と言った。「もしかして彗星か?」「まさ か〜」などと電話で会話をした。                                     3月19日。薄雲の中、かろうじて撮影できた。3月20日。昨夜撮影したネガを現像しルーペで 見てみると「あった、あった!」微かに写っている。「何か星像がボケているなぁ〜?」と思っ ているとき、ツッルルル、「渡辺だけど。あれムルコス彗星でったぞ!」「エッ、星像がボケている と思ったら彗星だったの・・・やっぱり・・・名前は付かないんですか?」「報告が遅れたからダ メだ!直接国立天文台へ連絡すれば、円館・渡辺彗星だったのに・・・」と渡辺氏は少々興 奮気味だった。                                              何故、報告が遅れたのだろう。発見はムルコス氏より早く、報告も早くしているはずなのに・・・ と疑問を持っていたが、後で渡辺氏の話を聞くと渡辺氏のミスで誤報の報告をし、再度報告 をしたために高速移動天体として報告はせず通常の小惑星として報告したために保留デー タとしてデータがキープされていた。もし高速移動天体(特異小惑星)として報告していたなら ば、世界中のどこかの天文台で確認観測が行われ、特異小惑星ではなく彗星として観測さ れたに違いありません。ほんのちょっとしたミスで彗星という大物を捕り逃してしまったのでし た。ちょっと運が良ければ「彗星発見!」となっていたのに、とても残念に思えてなりません でした。                                                  

彗星を発見し損なった日から2週間後の4月11日のこと。またもや 撮影したネガに棒状に写った高速移動天体が写っていた。そう簡 単に彗星が次から次へと発見できるはずもありません。「まさか〜 ?」と思いつつ何度も何度も見ても高速に移動している。彗星では ないかも知れないが特異小惑星に違いないと札幌の渡辺氏に電 話をかけてネガを測定してもらったしかし軌道計算者からは「これ は人工衛星だろう!」と指摘されたがボクは「そんなことはないだ ろう」と思いつつも不安な毎日を送った。                            
しかしボクにはこの高速天体を追跡しても撮影することができなかった。「やっぱり人工衛星 だったのか・・・」と諦めていた矢先。パロマ天文台によって観測された。「やった!」日本で はまだ数個しか発見されていない特異小惑星発見だ!。1991GO、これが私が初めて発見 した特異小惑星なのです。                                        この様に小惑星を観測していると彗星や特異小惑星を発見できる。毎日毎日がドラマでス リル満天だ!「今日、撮影したネガに何かが写っているかる知れない?」そんな夢を持って 撮影をしているのだ。                                          

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