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第一章


<ある日、幼い頃・・・> ある日の夕暮れ、カラスがカァーカァーと鳴いていた。「一番星みーつけた!」西の空に、真っ 赤に燃えるような夕焼けの中、一つ明るく輝く星が見えていた。                   ある日、汽車の窓から大きな満月が見えていた。ものすごいスピードで汽車が動いているのに、 月はついてくる。ときどき山に隠れては、またついてくる。それが面白くて、ずっと月を見ていた。 ある日、近くのオジさんと学研の付録に付いていた天体望遠鏡を組み立 てて星を見ていた。南の空から北の空へオレンジ色の明るい移動天体が・・・ 「アッ、人工衛星だ!」その時、初めて人工衛星を見たのでした。 ある日、大通りを歩いているとある店のショーウィンドーに天体望遠鏡が 飾ってあった。価格は9,000円位だったと思う。でも買えないいくどなく天 体望遠鏡を見に行った。しかし、いつの日か天体望遠鏡はなくなってい た。そんな小学生が私だった。           

<中学校の頃の・・・>   中学1年生の秋。友人の佐々木君が、なぜか天体望遠鏡のカタログ(その時、このカタログ が私の人生を大きく変えるとは思わなかった)を持ってきた。そのカタログを見た私は、望遠鏡 が欲しくて欲しくてたまらなくなった。強引にそのカタログをもらい、少ない小遣いをかき集めて 口径6cmの屈折望遠鏡を買う事にした。価格は30,000円位。 そして12月の上旬、待ちに待 った天体望遠鏡が届いた。その段ボール箱を開けるとピカピカの望遠鏡がやけに目にまぶし かった。さっそく望遠鏡を組み立てて、月を見てみた。「ウワァ〜、スゲェ〜、月がこんなに良く
見える。これは感動だ!」この時の感動は今でもハッキリと覚えています。               始めてみる月の表面は、写真でみるより遥かに良く見えていた。「これが、コペ ルニクスのクレーターかぁ!」「オー、これがティコだ!」など と大小さまざまなクレ ーターがビッシリだ。「ヘェ〜、これが静かな海。真っ平な平原だなぁ!」山脈もあ れば海もあるが、水がない奇妙な世界である。「こりゃ〜、ウサギが住める世界 でないな!」と納得した。この様に小さな望遠鏡でも、十分に月を見ることができ、 時間を忘れて楽しいでいた。                      
<星の勉強をしないと・・・>  次に何を見ようかと望遠鏡を適当な方向へ向けてみる。しかし望遠鏡の中に見える星は、た だの点になって見えているだけ。本にあるような星雲は、どこにもない!「こりゃ〜、勉強しない とダメだな!」そこで星座の勉強だ。星座早見盤を見ながらオリオン座を探した。「え〜っと、こ れがあの星で、あれがこの星かな?」などと、星と星座早見盤を見比べてみる。「ヘ〜、オリオ ン座ってこんなに大きいんだぁ〜」星と星を線で結ぶとオリオン座の形ができた。実際に肉眼 で見るオリオン座の星座は遥かに大きく見えた。そして「これが三つ星。その下にある星がオ リオン座大星雲かぁ〜」と望遠鏡を向けてみる。「あった!これがオリオン座大星雲だ。スゲー ェ!」「今度はスバルだ。あった!」ひとつわかれば次から次へとわかってくる。これが楽しくて 楽しくて、自分がひとつ偉くなったような気がした。                                                                天文雑誌を見ていたら、今、土星が見えていると書いてあった。さっそく望遠鏡を土星に向け た。「OOO座にある、この星が土星だな!」確かに他の星と見え方が違う。倍率を上げてみよ う。「オ〜、土星だ!」「ちゃんと輪が見えるぞ!」小さいがハッキリとした土星を、自分のこの 目で見る事ができる(感動!感動!ナマはサイコウ!)。土星は「宇宙のダイヤモンド」と言わ れるほど美しいく神秘的なものです。これを一人で見ているのがもったいないような気がした。 今度は木星にチャレンジ!。木星は、とても明るい星なので探すのは簡単だ。望遠鏡に一発 で導入する事ができる。「まぶしいなぁ〜。アッ、縞模様が見える!」3本ほどの黒い縞が見え ていた。天文書を読むと、もっと良く見えますと書いてある。「あれ〜、本のとおり見えないなぁ 〜」「もっと複雑な模様が見えるはず!」自分の目が悪いのかと、晴れていれば何度も木星を 見た。しかし何度見ても、あと一歩のところで複雑な模様が見えないのでした。その後、この木 星との戦いは、長い間続くのでした。                                                                       <ボクの挑戦!> 僕の小さな6cm屈折望遠鏡では、いくら頑張っても木星の細かな縞模様は見えなかった。そ こで重大決心!大きい天体望遠鏡を買う事にした。それからの僕は、土曜日も日曜日もアル バイト。もちろん夏休み・冬休みも・・・やっと10万円ほど貯まったのが中学3年生。有名メーカ ーの望遠鏡は10万円では買えない。そこで三流メーカーの12.5cm反射望遠鏡を購入した。   12.5cm反射望遠鏡は、さすがに大きい。これだけ大きいとさぞかし良く見えるだろうと、胸が わくわくした。「よし、土星を見よう!」と望遠鏡を向けた。今まで見ていた土星より、ずぅーと大 きく見える。「あれ、輪の中に一本の筋が見えるぞ!」そうこれが「カッシーニの隙間」と言われ るものだ。「今度は木星だ!」「ヒェー、まぶしい!すごく明るい!」これならきっと複雑な縞模様 が見えるだろうと目をこらして木星を見た。確かに今までの6cm望遠鏡より大きく見えるが、模 様はあまり変わらない。「なんだぁ〜、見えないじゃないかぁ!」私はガッカリしてしまった。    どうして写真のように見えないのだろう。天文書を読むと、反射望遠鏡は筒内気流が発生した り、鏡が外気気温となじまないと良い像が得られないとか、望遠鏡の光軸合わせを正確に調整 しないと良く見えないなど書いてあった。そこで、本に書いてあるようにいろいろと調整を見ては、 木星を何度も観測した。しかし、何度トライしても、写真のような木星の細かい複雑な模様は一 度も見る事ができなかった。                                         <ボクの観測場所> ボクの天体観測をする場所は、いつも2階のベランダ観測所である。いつも好きなときに窓から 望遠鏡を出して、望遠鏡をのぞく事ができるからだ。でも、本当の事を言うと一人で外へ出るの が恐いからである。お化けを信じているわけではないが、出てきたら恐い。トントントン、望遠鏡 を覗いている時に肩をたたかれたら、ドキッ!と心臓が止まるかも知れない。当時のボクの自 宅近くには民家が少なく、カエルの鳴き声や鳥の鳴き声が聞こえていた。星を見るには結構良 い場所(今では住宅街になり、街灯が立ち空が明るくなった)だったのだが、外に出るのが嫌だ った。そんなボクだったが、よりよく星を見るためには、外で観測しなければならない。そこで勇 気を奮い起こし、外で望遠鏡を覗くようになった。                            自宅から10mほど離れた場所に、望遠鏡を置く場所を確保した。晴れていれば毎日のように 望遠鏡を、自宅からこの観測場所へ運んだ。12.5cm反射望遠鏡は赤道儀という自動的に 星を追いかけてくれる機能がある。この機能を使うには正確なセッティングが必要。そこで最初 に、このセットをするわけだが、それがなかなか上手く行かない。最初の頃は、一晩中、星を見 ずに、このセッティング作業だけで終わった事がしばしばあった。                   雪が降る季節。いつもの観測場所は雪の中。最初に除雪をしてから望遠鏡をセットする。冬の 天体観測はつらい!吹きつける北風が身にしみて、痛いくらいだ。そこで、少しでも北風を防ご ようと観測場所の回りを、雪の壁で盛り上げた(この観測所を僕は、カマクラ観測所と読んでた)。 これでいくらかでも観測が楽になった。また、当時は今のような温かい防寒着がない。そこで、着 れるだけのセーターやズボン。デストロイヤーの毛糸マスクをかぶって星を見た。その様子は他 人には見せられない。まるでダルマのような姿なので、笑われてしまうからだ。           <真冬の皆既月食>
1974年11月29日。満月が消えて行く皆既月食があった。以前あった月食は、 夜中だったので満月が消える瞬間を見届ける事ができなかった(途中で寝込ん でしまったから)。今度こそは見届けるゾォ!と意気込んだ。家の前の空き地に テントを広げ、寝ころびながら天体ショーを眺めた。背中からジリジリと寒気が伝 わる。でも満月は時間が経つに連れて、ドンドン欠けてゆく。双眼鏡を持ちなが ら、「寒さと対決だ!」やっぱり寒さにはかなわない。ときどき家に戻り暖をとり、
また寝ころびながら天体ショーを楽しむ。いよいよ皆既食。「アッ、月が消えた!」あの満月だっ た月が1時間ほどで消えたのでした。そして26分後、徐々にあの明るい月に戻っていった。 <ウエスト彗星との出会い> 1975年の夏。ボクの人生に大きく関わる、大きな出来事が始まろうとしていた。その頃のボク は、まだ、ろくに望遠鏡を扱う事ができない中学3年生。朝、新聞を見ては、天文の記事が載っ てないか探すのが日課だった。その時、フッと目についた記事があった。「ウエスト彗星、発見 !」1975年8月10日。南米チリにある欧州南天文台のR・M・ウエスト博士が、南天の空に彗 星を発見したとあった。しかし、次に目にした記事には、1976年3月。明けの東の空に、肉眼 でウエスト彗星が見えると大きな記事が掲載されていました。「オーッ。これはすごいゾォ!」「彗 星が見えるんだ!」「彗星って、どんなふうに見えるのだろう?」と、とても興味しんしん!新聞 の記事を切り抜いては、ノートに張り付けていた。                           しかし、ウエスト彗星が一番明るく輝くのは3月。ちょうどボクの高校受験時期。見たい気持ち を抑え受験勉強をした。3月6日。やっと高校受験日が過ぎ、ボクは自由になった。「これでウ エスト彗星が見えるゾォ!」とボクの人生が明るくなったような気がした。そして数日後、朝まで ウエスト彗星が昇ってくるのを待ったのでした。                            
朝4時。もうウエスト彗星が出ているだろうと危険を承知で、2階の部屋から2階 の屋根へとよじ登った。「エッ、ウエスト彗星だ!」東の空を見た途端、地平線の 上に、ポッカリと白いカーテンのようなウエスト彗星が見えた。 「これは、デッカイ!」ボクが想像していた以上に、デッカクて綺麗だ!。超感動 の一瞬だった。ボクは興奮のあまり、屋根の上を走り回ってしまった。しばらくし て気が落ちついたボクは、記録のためにスケッチを書いた。                感動的だった「ウエスト彗星」。あんな美しい彗星を発見し、名前が付いたら凄い だろうなぁ〜と夢見たいな事を考えるようになり、彗星についての本を読むように
なった。天文書には、ウエスト彗星より大きく見えた彗星が、いくつかあった。例えば「池谷・ 関彗星(1965年)」。尾が何と、30度も伸びたそうです。それも日本人の発見。そして一人で 数個の彗星を眼視観測で発見している事に驚いた。特に、高知の関勉さんの自主出版本を良 く読んだ。当時のボクには、理解できない計算式や彗星の説明があったが、関さんの彗星観 測の模様や彗星発見のエピソードなどドキュメンタリー・タッチで書かれていて、とてもおもしろ かった。そして関さんの観測している芸西天文台に憧れ、観測をする事の素晴らしさを知った (その後、関さんと会い同じ観測者として話ができるとは思ってもいなかった)。ボクは、ますま す彗星にのめり込み「いつかは彗星を発見するぞぉ!」と、硬く心に決めたのでした。      <天体写真へ挑戦> 高校1年生になると、カメラが欲しくなった。なぜなら天文書の天体写真のような美しい写真を 撮ってみたくなったからだ。そこで、アルバイトをして貯めたお金で、フジカST801の一眼レフ カメラを購入。カメラ屋さんのおじさんが「天体写真を撮るなら、これがいいよ!」と言われるま まに買った。そして三脚にカメラを取り付け、レリーズも忘れずに取り付け、早々、シャッターを 切って撮影してみた。露出は10分。シャッターを開けたままで撮影するのだ!出来上がった ネガには、星の軌跡が写った見事な日周運動が写っていたのだが・・・「あれっ、これどこの星 を撮ったのだろう?」と、何が何だか分からないが星が流れた写真ができた。それでも超感激 !とにかく何か星が写っていればうれしかった。                            当時は、カラー写真は高価なものだったので、モノクロで撮影し自分でネガ現像・プリントをした のでした。自分でネガ現像をすると、現像タンクからフィルムを出す瞬間が、とてもドキドキしま す。「写っているかなぁ?あっ、失敗!」ネガ現像を失敗した事もしばしば。露出アンダーで、何 も写ってない事もありました。こんな失敗を何度もしながら天体写真にチャレンジしていったの でした。                                                     上手くいったネガは、あとでプリントをしますが当時は暗室というものはなく、自室の部屋を真っ 暗にしてプリント作業をしたものでした。赤い暗室電球の照明の中、現像液につけた印画紙か ら徐々に像が浮かび上がってくる。「ワァ〜、出てきた出てきた!」この瞬間がとてもたまらなく 感動する瞬間です。プリントは自分の思い通りに変えられる。何十枚も気にいるまでプリントを した。そして気に入った写真は、大きく引伸ばし部屋に飾ったものである。            

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